——後藤さんは以前ポッドキャストで、『RIGHT TIME』について「ブレイクスルー的なエネルギーに満ちていて、開けたフィーリングを感じる」と話していましたが、今のbutajiさんの話とも重なる部分がありそうですね。
後藤 たしかに。さっきラジオ(J-WAVE「TOPPAN INNOVATION WORLD ERA」)の収録で、前作『告白』(2018年)で自分の閉じた世界を突き詰めたあと、仲間たちと一緒に音楽をシェアするように作ったのが『RIGHT TIME』だったと聞いて、「なるほど」と思ったんですよね。選考会でも「包容力」という言葉が出ましたが、そういう開かれた制作環境が、リスナーを抱きしめるような柔らかさにつながっているというか。自分の音楽で(他者が介入することを)許したことで、それを聴く人たちも許されるようなフィーリングを抱くというか、そこに他者を拒むようなタッチがない。
——わかる気がします。
後藤 そういうときの音楽ってすごく良いんですよね。ロック・バンドとかでもそうで、ずっと突っ張ってきた人たちが、ふとリスナーに心を開く瞬間があって。そこから開かれたポップさを持つ、キャリアを代表するようなアルバムが生まれたりする。そういう現象を僕は「ブレイクスルー」と呼んでいるんですけど、なんか好きなんですよね。「俺、拒まれてない!」みたいな(笑)。『RIGHT TIME』にもそういう瑞々しさがある気がします。
butaji 自分は「ポップス」を作りたいと思いながらずっと活動を続けてきたんですけど、ポップスっていうのはみんなが共有できる広場のようなものであればいいな、と考えているんですよね。その一方で、さっきラジオで話したように、強い「楽譜」を作りたいという想いもあって。ポップスに対する自分の考え方と、アレンジメントを人に委ねるという方法論が、結果的に重なっているのかもしれないですね。
後藤 人が往来できないとポップスにならないから、単なる箱庭であってはいけないわけですよね。そういう意味で、『RIGHT TIME』は拒んでないし、「お前らにはわからないだろう」みたいな態度をまったく感じない。それって大事なことだし、意外と難しい気もする。やっぱりアティテュードは音に出てしまうので。
——「開かれたものを作る」ということを、butajiさんはもともと意識してきたわけですね。
butaji そうですね。自分が頼りにしてきた音楽を振り返ってみると、やはりそういうものが好きだったので。自分もそういうものを作っていきたいって気持ちはずっとありますね。
——そういう点で、ご自身のルーツになった音楽を挙げるとすれば?
butaji 幼少の頃に聴いた童謡、「みんなのうた」とかはもちろん好きだったんですけど……もう一つ思い出せるのが、天気予報でかかっていたビー・ジーズの”How Deep Is Your Love”ですね。ピアノ・ソロのアレンジだったんですけど、あの曲がすごく好きで。
——どういう部分に惹かれたんですか?
butaji 和声ですね。僕、コードが好きなんですよ。そこからさっきの「人に委ねる」という話につなげられるかもしれないですよね。コードワークが好きっていうのは、その象徴みたいなことかもしれない。
——音の重なり、人の連なりみたいな。その話でいうと、butajiさんの受賞コメントをリツイートしたりしながら、縁あるミュージシャンやご友人のみなさんが祝福している光景もよかったです。
butaji 恐縮です。
——というのも、最近はTwitterをやっていると憂鬱な気分になることが多いじゃないですか。
butaji 難しいですよね、僕も使えなくなりました(苦笑)。
後藤 半分地獄みたいなところありますよね。
——”calling”の歌詞にも、「根深いトラウマ 心ない言葉 知れば知るほど気分が重くなるようなニュース」という一節がありますが、ここにはSNSにおける窮屈さみたいなものも反映されているのでしょうか?
butaji そうですね。Twitterは議論に向かない、対話が出来ないので。ネットカルチャーの悪いところがどんどん出ちゃっている感じがしてしまって。
後藤 人の家の壁に「バカ!」って張り紙して逃げていく、みたいな使い方ばかりですもんね。結局、壁を越えられていない。
butaji そう思います、会話につながらないので。
後藤 何もかも埋もれていく悲しみもあるし、とにかく傷つけあって、一切合切なにも残らずに傷だけが残っていくみたいな。あの不毛な感じが切ないですよね。
——そんなふうに対話が成り立たない世の中で、それでも対話を試みているのが『RIGHT TIME』である、という言い方もできそうな気がします。butajiさんは他のインタビューでも「わかりあえないのは、もうわかっている。でも諦めない」と話していましたよね。
butaji 僕は音楽を作るっていうことを一対一の関係性だと思っていて。基本的にはヘッドホンで聴かれることを想定しているところがあるんですよね。しかも、僕がその場にいるわけでもない。そのくらい濃密な関係性だからこそできるコミュニケーションがあるんじゃないかと思っています。
——『RIGHT TIME』は今年4月にアナログ化も実現。これを機会に聴き直す方もいると思いますが、音作りのチャレンジについても改めて聞かせてください。
butaji 新しさっていうのはないんじゃないですかね(笑)。ここまで話してきたように、アレンジメントについては自分のOKしてきたもの以外のOKを探すアルバムで、自分と同じように相手も大事であるというのを実践したかったところもあったので。エンジニアさんの一存にお任せしたところは結構あります。
後藤 僕は「今の音だな」と思いながら聴きましたけどね。フレッシュな音で、なおかつオーセンティックでもある。その両立はやりたくても難しいことだと思うので。あとはコントラストが面白いですよね。”free me”ではtofubeatsによるダンス・ビート、”友人へ”では町のスタジオで録ったようなバンド・サウンドというふうに、曲によってアプローチが全然違う。サウンドのバラエティに富んでいて、その振り幅が作品の大きさにもつながっている。信頼できる仲間たちと一緒に、それぞれの曲に合ったアプローチを導き出しながら組み立てたのがよくわかります。
butaji 僕はポップスというものを一つのメディアだと思っているので、ジャンルで絞るということは考えたことがないですね。
後藤 あと、バンド演奏については、プレイヤーの個性を殺さず、その人のタッチが生々しく表現されていますよね。それはbutajiさんの歌を聴いていても思う。僕はエンジニアもするから、ここは触ってないとかわかるので。
butaji なるほど。ヴォーカルについては、たしかに生々しいと思います。
後藤 そのエモーショナルなところがグッときますね。こうやって話しながら、butajiさんはパンクな人だなと思っているんですけど(笑)、そういう気質が出ているというか。ポップスって開かれたものを目指すうちに、ともすれば工業製品みたいなものに向かいがちじゃないですか。「こういうのが売れるでしょ」みたいな。『RIGHT TIME』はそういうところが一切ないですよね。音も歌詞も置きにいってないし、リスナーを舐めていない。そんなの当たり前だと思われるかもしれないけど、案外みんな揺れてしまうところで(笑)。butajiさんが音楽に対して誠実なのは、アルバムを聴けばわかる。