APPLE VINEGAR - Music Award - 2024

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インタビュアー:小熊俊哉 / 写真:平木希奈  取材協力:J-WAVE(81.3FM)

―まずは君島さん、受賞の感想をお聞かせください。

    

君島まだ信じてないですね、夢オチかもしれない(笑)。賞レースで勝ったことが一度もない人生なので、本当に実感がなくて。でも、アルバムを一人で作り上げるっていうところを評価していただいたのは嬉しく思ってます。

 

―後藤さんは早くから君島さんと交流してましたよね。

 

後藤作品はもちろん聴いていましたし、アジカンのツアーにも出ていただいて(「Tour 2020 酔杯2 ~The Song of Apple~」)、アルバムをずっと楽しみに待ってました。ただ、EPをずっと出し続けながら活動するのも、今の時代だったら選択肢として全然あるし、アルバムって音楽的な時間や情熱、予算面でもカロリーが高い。君島くんの制作スタイルだと、もしかするとアルバムは出さないのかなと思っていたら、ようやくファースト(『映帶する煙』)が出て、同じ年にセカンド(『no public sounds』)も出てすごいなと。

 

―君島さんは2019年のデビュー当初から注目を集めてきましたが、APPLE VINEGAR -Music Award-は「“アルバム”に贈られる作品賞」ということで、今年が初ノミネートでした。

 

後藤ノミネートを発表したあと、友達からは「今、君島大空なの? 彼はもう十分世に出ているじゃないか」という反応もあったけど、僕としては「いや、そういうことじゃないんで」みたいな。この賞は“人”に送っているわけじゃない。いわゆる新人賞ではなく、音楽的に達成されたアルバムを評価する“作品賞”だから、君島くんの2枚を無視するのは無理だと思うって。そう返信したら、すごく納得してくれました。

 

―選考会でも「圧倒的」と意見が一致していた印象です。

 

後藤そうですね。若いアーティストを支援するとなったら(特別賞を受賞した)原口沙輔くん、野口文くんのようなもっと若い人たちに賞金を贈って、歩みを進めてもらうのも賞のコンセプト的には正しいんですけど、しかしながら、君島大空の達成を無視するのは無理なんじゃないかっていう意見がやっぱり大きかった。僕自身もそう。まじまじと聴いて、サウンドも楽曲も素晴らしいとしか言いようがないところがある。

―君島さんのアルバムはどちらも評価が高く、ミュージック・マガジンは昨年の「日本のロック」部門1位に『映帶する煙』のほうを選出しています。そのなかで、『no public sounds』をノミネートした理由も改めてお聞きしたいです。

後藤感情からアウトプットまでの速度、線の引き方。それがすごくリニアな感じがして。思ってから鳴らすまでの時間が『no public sounds』のほうが速く感じたんですよね。『映帶する煙』は豊かなレイヤーが重ねてあって、長く楽しめる一方で、じっくり聴かないといけないところもある。ポップ・ミュージックとしての機能性でいうと、セカンドの方が射程が長いというか、それでいてあっという間に届くようなスピードがありますよね。長らく音楽をやってきた身からすると、パッと鳴らして、そのパッションを素早く受け取ってもらうのは案外難しい。自分のなかに何重もある、ある種の恥ずかしさというか、ブレーキの要素がいっぱいあって。「もうちょっと練っておきたい」とか、そういう気持ちが押し寄せてきて、「えいやっ!」ってやれないものなんですよね。

 

―わかる気がします。

 

後藤で、そういうことをやりそうにない人がやったときって、結果的に素晴らしいものになることが多い気がします。たとえば、ハードコア・パンクのバンドがポップなアルバムを作った瞬間のようなエネルギーの放射って、案外二度と生み出せなかったりするもので。自分たちですらどう作ったのかわからないような魅力があったりする。そういう意味で、ファーストのほうがコントロールされているのかもしれないけど、『no public sounds』には本人も気づいてなかったような魅力が出ているように聴こえて。君島くんの現在もそうだけど、未来にも可能性を感じました。こういうアルバムはなかなか録れないんじゃないかな。

 

―まさしく、そのスピード感にみんな驚かされたわけですよね。『映帶する煙』ほどの力作を発表したあと、たった8ヶ月後にリリースした。君島さんはそもそも、なんでそんなに早く次のアルバムを作ろうと思ったのでしょう?

 

君島『映帶する煙』でやれなかったことが多かったんですよね。自分に課したことで達成できなかったことや課してなかったことが、作り終わったあとにすごく浮き上がってきてしまって。それこそ、スピードの使い方が違う。ファーストは長く聴かれるように作ったので、サウンドのテクスチャーとか、言ってしまえば地味なんです。それは意図してやったことで、時代感がないタイムレスなものをめざしていたんですけど、作り終えたあとに自分のフィジカルの速さ、まさに後藤さんが言ってくださった「思ってから鳴らすまでの速さ」がまったく出ていない感じがしちゃって。言葉もそうだし、古い曲を収録しているので、その温度感と自分の今の体温との差がすごく出てきて、自分の嫌なとこばっかり見えちゃって。しばらく聴けなかった。それで一度、その逆をやらないと気が済まなくなったんです。

 

―なるほど。

 

君島あとは、フルアルバムを1年に2枚出してるヤツがいたら、めっちゃおもしろいだろうなと思って。「笑ってほしくて作った」みたいなところはある。あとは普段の自分がやらないことと、スピードと、迷わないこと。ミックスも自分でやっているんですけど、すでにアルバムを一回作ったあとなので、その面でも迷わなくなった。音や歌詞、マスタリングの段でも「もうこれでいきます」みたいな。ファーストはすべてを決めるのが遅かったので、それを早回しにして。セカンドはジャケットから出来上がったので……。

 

―そうだったんだ!

    

君島あのジャケットは合奏形態のギターの西田(修大)と、2人で名古屋で呑んでベロベロに酔って、翌日の朝に二日酔いでタクシーで搬送される私の写真なんですけど。

 

後藤搬送されてるんだ、あれ(笑)。

 

君島「じゃあねー」って言ってる俺です(笑)。名古屋のホテル街で、真っ白な俺。それが送られてきた時に「これ名盤のジャケじゃん!」って。

 

後藤たしかに(笑)。

 

君島「名盤のジャケが撮れたってことは名盤を作んなきゃ!」と思って、これを絶対セカンドのジャケにしようと思ってからブーストがかかったんです。曲じゃなくてイメージが最初でしたね。「楽しい!」と思って。

 

後藤ファーストもセカンドも、ジャケが音楽を体現しているように見えるというか。西田くんも写真でアシストするとは思わなかっただろうね。これだけ音楽的に参加してきてさ。

 

君島そうなんですよ、(『no public sounds』では)1曲も弾いてないですからね(笑)。

 

―写真を撮られたのはいつの話?

 

君島(昨年の)2月ぐらいですね。

 

―『no public sounds』の曲も全部そこから作り始めたわけですか?

 

君島いや、もちろん録り溜めていたものとか、タネはいっぱいあって。それこそファーストの空気感にそぐわないから弾いた曲もいくつかあったので、ゼロから作ったのは半分ちょいですかね。あとは肉付けしていなかったやつとか、歌詞がなかったやつとか。端材みたいなものがPCのなかにたくさんあったので、それを全部組み上げていった感じです。

 

―去年、フジロックで合奏形態の現地取材をさせてもらったとき、先行リリースされた“˖嵐₊˚ˑ༄”は、西田さんと相模大野の喫茶店で打ち合わせして、「スクリレックスいいよね」という話になり、その翌日に完成させたという話を聞いて驚きましたが、他の曲はどういうスピード感で制作していったんですか?

 

君島“˖嵐₊˚ˑ༄”がたぶん一番速いですね。一日でゼロからあそこまで作って、声の録音も何も考えずにゴッパー(ヴォーカル用マイクのSHURE SM58)で録って。1〜2曲目の“札”と“c r a z y”は、2年ほど前からやってるトリオ(藤本ひかり:Ba、角崎夏彦:Dr)の編成で録っているんですけど、あれもほとんど一発録りで。4月くらいに録って、わりとそのままのもの。僕は録る前に、サウンド・イメージを言語化することを大事にしていて。設計図を一度言葉だけで組むようにしているんです。楽譜も書くんですけど、それとは別にセクションごとのイメージと帯域の広げ具合を文章にするようにして、プロットにしておくというか。

 

―へぇ! 後藤さんもそういう作り方をするものですか?

 

後藤僕はいい加減だから、出たとこ勝負なんですよね。あまり設計図を引かないようにしています。結構ネガティブだから、自分をそんなに信用していないところがあって。「お前なんかが考えたもんがおもしろいことはないぞ」みたいな。だから、誰かと一緒にやるなかで、思ってもみなかった方向に転がらないと逆に不安。最初の計画どおりにするのはつまらないんじゃないかって恐怖心があるんですよ。

 

君島俺は「やった! 思ったとおりになった!」って思うんですよね。

 

後藤逆なんだ、おもしろいね。

―話に出た“札”はどういうプロットを書いたんですか?

 

君島あれもほとんど一日で作りました。合奏以外に自分が動けるトリオで編成を作ったとき、トリオ用にオープニングみたいな曲を作ろうと思って。プロットというより、もうマジでスピードメニューみたいな感じですかね。

 

―「こういうバンド・サウンドが好きなんだろうな」って感じが炸裂してますよね。

 

君島そうそう。誰でも数えられる、わかりやすい7拍子。

 

―じゃあ「プロットが完璧にハマった!」みたいな曲は?

 

君島“c r a z y”と“映画”ですかね。“c r a z y”はバンドの一発録りと、かなり無機質な、フェイズアウトしたようなドラムの対比を一曲の中でやっていて。波形で見るとダイナミクスがすごいんですけど、聴感上の広がりでいたずらをしたかったんです。逆走でいろんなものを混ぜたり、普通のエンジニアには止められそうなことをたくさんしていて。耳の後ろまでちょっと広がった感じというか、そういうものを作ることにハマっていました。“c r a z y”には設計図があるんです。(自分の曲では)ドラムを全部書き譜にしていて。石若(駿)さんが叩いてくれるときはそうするんですけど、トリオの場合は2人ともそこまで譜面に強くない。だから、(デモを)めちゃくちゃ聴き込んできてくれるんです。それが最高で。フィルを全部思ったとおりに叩いてくれたり、そういうのがすごく楽しかったなと。

  

後藤自分の話だけど、最近出した(ドローン/アンビエントのソロ作)『Recent Report I』だけはプロットがありましたね。話を聞きながら、きっとそういうことなんだろうなと。でも、それを歌が入るポップ・ミュージックでやっているのは驚きですよ。

 

君島歌詞とは別に、その曲を説明する言葉っていうのが常に自分のなかにある気がします。それが設計図の場合もあるし、(曲を)補完するものというか、忘れないようにしないといけないもの、歌詞には書いていないことを自分だけにわかる言葉で書いたりとか。そういうのを楽譜に書いておくことは多いですね。セカンドでは、そうしたほうが速いからやったところもあります。

 
  

―“c r a z y”といえば、今回の選考委員として参加した蔦谷好位置さんが「EIGHT-JAM(関ジャム完全燃SHOW)」で2023年マイベスト10の1位に選んだとき、解説不可能と言葉を失っていたのも話題になりました。

 

君島ありがたいです。

 

後藤蔦谷さんのような自らもクリエイターである人が、心の底から感動して、衒いもなく語っているのは久々に見ました。ミュージシャンでありながら、人の作品に感動したことを打ち明けるのって案外難しいじゃないですか。よっぽどのことなんだなと思って。

 

―そのあと「EIGHT-JAM」に君島さんが出演したとき、あの曲はスタジアム・ロックのようなアンセムにしたくて、そのためにアンセムを集めたプレイリストを作ったと話していましたよね。番組中ではエアロスミス“Crazy”が強調されていましたが、他のセレクトも興味深いです。フレディ・マーキュリー“I Was Born To Love You”、オアシス“Don't Look Back in Anger”、ジャーニー“Open Arms”といった鉄板や、エレファントカシマシ“ガストロンジャー”など日本の名曲に、パフューム・ジーニアス“Slip Away”も入っていて。

 

君島俺のなかでは同じなんです。拳が勝手に動く、みたいな。海外には「国民が歌える歌」ってあるじゃないですか。Aメロから全員が歌える歌があるのは羨ましいなと。

 

後藤たしかに、(日本には)みんなの歌がないよね。

 

君島すごく羨ましいし、寂しくなっちゃって。そのプレイリストを作ってずっと聴いたりしながら、「アンセムを作らなきゃいけない」っていう話を友達としていた時期があったんです。「アンセムが足りねえよ、国に!」って。

 

後藤まさか君島くんがアンセムを作ろうとしていたなんて。アルバムを聴いたときはそう思わなかったけどね。

 

君島……だから、達成されてないんですよね。アンセムを作れなかった。

 

後藤プロダクションが複雑すぎるでしょう。「どうシェアするんだ?」みたいな。

 

君島そこに、やっぱり後悔はあるんですよね。まだやり足りないですもん。今も後藤さんに鋭い意見をいただいたけど、マジでそう思う。

   

後藤アンセムって、言葉が悪いけどちょっとアホなところがあるじゃない? みんながあっけらかんと受け入れられる、シンプルな何か。特別な精神状態じゃないと作れないような気もしますよね。知的に思われたい欲望もなく、半分思い上がりくらいの気持ちでスコーンッて抜けないと。

 

君島「その一本槍でよく行ったな」みたいな(笑)。

 

―オアシスやジャーニーには、そういう清々しさを感じます。

 

後藤あの人たちのすごさは、自分たちが一本槍であることを疑っていないんですよ。一本槍だと思ってすらいないのかもしれない(笑)。無敵のまま突っ切っちゃってるから、スタジアムで鳴るような音楽になるんだろうな。

―後藤さんのオアシス好きは周知のとおりですが、君島さんは「王道のロック・シーンやUKロックをまったく通ってなく、立川のディスクユニオンでジョン・ゾーン関連作を買っていた」と過去のインタビューで話していましたよね。

 

君島買ってました、エレクトリック・マサダとか。

 

後藤立川なんだ。俺は国立のディスクユニオンで買ってたな。

―非王道なルーツをもつ君島さんが、ここに来て「アンセムを作ろう」と考えたこと自体がおもしろい。

 

君島僕はきっとやりたいことがいっぱいあって。それこそ、10代の頃はギタリストになりたかったけど、いわゆるロック・ギタリストにはまったく憧れてなくて、マーク・リボーやビル・フリゼール、フレッド・フリス、高柳昌行になりたかった。そういうのばっかり聴いていたんですよね。海外のアンダーグラウンド・シーン、シカゴの音響系から始まってアルゼンチンの音響系、フアナ・モリーナとかフェルナンド・カブサッキも好きだった。

 

後藤ディスクユニオンで推してたもんね。

 

君島そうそう(笑)。でも、J-POPも好きで聴いていたんです。共通の音楽を好きな友達もいなかったから、自分で好きなものを掘っていくことがメインだったんですけど、だんだん歌を歌うことが楽しくなってきて。ニュートラルにいろんな要素を入れたいというか、どっちもほしいんですよね。「あるべきではないような歌とテクスチャーが共存してる形には、もっと幅があるはず」と思っていて。

―そういう意識は君島さんの音楽、それこそ「c r a z y」からも伝わってきます。

 

君島でも、それって方法論としてはアンダーグラウンドっぽくなりやすいんですよね。もちろん、声を使った前衛的な作品もたくさんあると思うけど、僕はそうじゃないものがやりたくて。やっぱりポップスが好きで、サザンとかミスチルも超好きだから。わかりやすい間口の広さで、そういうものを作れないかなってずっと思っています。聴きやすさを入り口にして、最後にどん底に叩き落とすみたいな……どん底じゃなくてもいいんですけど、聴き終わってから「こういうものがあるんだ」となる音楽って、楽しいと思うんですよね。

  

―先ほども「やりたいことがいっぱいある」と話していたように、君島さんの音楽は生演奏とプロダクションのどちらも独創的で、フォーク、ジャズ、メタル、エレクトロニカからJ-POPまで古今東西の音楽エッセンスが内包されている。今回のアルバムでそれぞれのバランスを意識したり、もしくは新しい扉が開いた感覚などはあったりしたのでしょうか?

 

君島一人でやってるので、フラットな状態がすでにバランスを意識しすぎているんですよね。「絶対にこのテイクはヤダ!」って思うことがすごく多くて。ここ数年、バンドで録音したり人と仕事をしながら、自分のそういう部分にすごく自覚的になっていたんです。だから、セカンドを作るときは、マジで気にしないようにしました。普通の人より気にしすぎているから、そのパラメーターを作動させないようにするというか。

   

後藤ゆるく構える、みたいな?

 

君島そうですね、ネジを何個か外すというか。だから、セカンドを作るのは超ラクでしたね。「めっちゃいいじゃん!」っていう気持ちのまま制作が終わったので、作り終わったあとも楽しくて、ずっと聴いていられる。沼らなかったし、自分でおもしろがっていられた。だから、仮歌を採用した曲がめっちゃあるんですよ。

 

―そうなの⁉️

 

君島スタジオで歌ってみたりもしたけど、家で録り直したりとか。「やっぱ、一人のほうが楽だわー」って(笑)。

 

後藤すごくわかる(笑)。

 

君島スタジオで歌を録れる人ってすごいと思います。僕、まったく無理で。

 

後藤俺ももう半分くらい引き上げちゃった。アジカンのボーカルですら自分で録り始めているし。人に見られているのって結構ストレスというか。歌っているときはパッションが炸裂するからさ。こんな俺でも、デモを作りながら泣いちゃったりする時があるんだよ。どうしてそれをスタジオでもう一回清書しなきゃいけないんだ、みたいな気持ちがあって。「あのときのほうが良かったよな」ってことが結構あるんだよね。

 

君島すごくわかります。なんかこう……嘘をつく感じなんですよね。自分に「もう一回お願いします」と言うような感じで、単純にやる気が出ない。僕も仮歌を歌いながら泣いたりしていて、最後の曲(“沈む体は空へ溢れて”)の最後のパートは泣きながら歌っています。その仮歌を採用したんですけど、それぐらいでいいだろうと思いますね。

 

後藤そう考えると、『映帯する煙』からものすごく違うところまで行ったんだね。ファーストのときだったら「それでも作り込まなきゃ」みたいな気持ちになっただろうし。

 

君島ファーストでは、仮歌はあまり使ってないですね。

 

後藤そこにおもしろい変化がある。我々リスナーはそんな事情を知らないけど、どこかで嗅ぎ取っているんだろうね。

 

君島そういう匂いをすごく強く出そうとしてますね、歌以外のところでも。

 

―「おもしろい変化」は言葉の面にも感じました。

 

君島気を張らないようになりました。それはたぶんファーストを作れたからだと思います。(前作では)活動の初期に思っていた「無駄なことを書きたくない」っていう完璧主義的な部分が、歌詞にもすごく出ている気がしたんです。だから今回は、全部のギアをローに入れて、許せるものをすごく増やした。

 

―なるほど。

 

君島歌にして伝えたいことは、たぶんこれから先もないんと思うんですけど……全体の印象として与えたいのは、やっぱり常に映像的なもので。一人ひとりの何かに着地するような言葉を選んでいます。僕はずっと、何かをなくしたことについて歌っていて、これからもそれをやり続けていくと思う。それこそ、「誰かが亡くなった」みたいな一つのテーマを、可能な限りいろんなアプローチで歌っていきたい。それが弔いの形であると思うし、「みんなが忘れても俺は絶対に覚えている」みたいなことってあるじゃないですか。そうであることは恥ずかしくないと、ずっと自分に認めさせたいっていう気持ちがすごく強いです。

 

後藤今の話で質問したいのが、言葉に対してどのタイミングでアプローチするのか。楽曲を作るとき、メロディと言葉が同時に生まれるっていう人たちもいて。君島くんはどのタイミングで、ああいう歌詞に向かっていくのか。楽曲作りの段階で「言葉をこの曲に与えよう」と思う瞬間、いつ書き始めているのかすごく興味がある。

 

君島もう、すぐにです。

 

後藤速いんだ。

 

君島でも、出てくるものが多すぎるし、(言葉の響きが)音として楽しいものもあるじゃないですか。歌っていて気持ちいいとか。歌詞を書いているとき、「英語はいいな」っていつも思います。はめやすいし、短い単語で意味が伝わるし。日本語ってだらだら言わないと訳がわからない。

     

―日本語に不満がある。

 

君島そう(笑)。なるべく最短距離でいきたいから、ああいった言葉選びになっていますね。点を置いていって、線を引くのは聴く人に任せればいいと思っているし、その線の繋ぎ方を固定しないようにもしています。横から読んでも斜めから読んでも、好きに解釈してもらっていい。ただし、(自分の意図と)違う解釈はされたくないという矛盾はあって、予防線は引いているけど、その人の記憶とか、生活にタッチするような言葉とか、その箱のなかでの組み替えで自由に解釈できるというか。散文っぽくして線は引き切らないけど、なんとなく海が見える感じにしたいとか、二日酔いの朝の感じにしたいとか。一つの強い言葉で「愛してる」って来るよりも、違う言葉をいっぱい並べて、そういうのが描ければ……みたいなことばかり考えています。言葉を書くのは速いですね。速いけど(時間が)長くかかっちゃう。

 

後藤なるほどね。一方で世の中を眺めると、歌のうえでは、言葉がどんどんわかりやすいほうに向かっている。それはストリーミングの影響もあるかもしれない。歌詞カードなんて一切読まない時代になっているから、聴いたそばからわかるように音楽が変わってきているところがある。僕はそういう流れに対して、「そんなにわかりやすく言わなきゃいけないのか?」って疑問もある。かといって、無視もできない。書き手としては、もちろん聴き手を信じているけども、わかりやすい言葉が大手を振っている様子は視界に入ってきてしまう。反骨心もあれば、迎合せずに彼らよりも言い当ててみたい気持ちもある。そういう世の中の流れに対して、君島くんはどんな視点を持っているのか訊いてみたい。

 

君島すごく嫌なんですよね、わかりやすい言葉。ストリーミングベースになって、アルバムは聴かれなくなるし、情報が流れていくスピードと、受け手が情報を楽しめる時間が「終わっていく」ような感じがする。情報が楽しいことに疲れている感じもする。だから、メロディも音もわかりやすいもの、聴いた瞬間にスッって入ってくるもの、安心できるものを求める人が増えているんだと思う。きっと不安なんだと思います。でも、僕はそれがすごく嫌で。グラデーションじゃなくて単色な感じがする。最近は、音楽を聴きたい気持ちになることが減って、「疲れてんなー」って思うことが多い。それは音楽の聴き方が一様に変わってきているからかなって。その空気感に疲れているというか。だから、自分がやるものは、あまり変えないでいきたいと思っています。

  

―『no public sounds』というタイトルは、「SoundCloudで公開された音源に、再びアクセスしたとき、その楽曲が削除されていた場合にブラウザに出るメッセージ」に由来しているそうですね。ストリーミングがある意味で受動的なリスニングスタイルをもたらしたのに対し、SoundCloudに音源を上げたり、その曲を掘ったりするのは能動的な行為ともいえそうですが、このアルバムでSoundCloudに言及した意図を聞かせてもらえますか?

 

君島SoundCloudに全部上げて、全部消したくなるような勢いで作ったものにしようっていうのがコンセプトとしてありました。SoundCloudって消せるのが最高だと思うんです。「酔っぱらった勢いで上げちゃった、でも歌のピッチは直したいな」ってそっと消すみたいな(笑)。それで「消えてたけど、また上がり直してるわ」みたいな。そういうのが超楽しくて。

 

後藤俺もやったことあるもん(笑)。ミックスやり直そうと思って。

 

君島みんな前言撤回したりするんですよね。気張ってるのもあれば、ボイスメモで録ったような歌を載せている人もいるし、そのためのアカウントもあったりする。SoundCloudはSNSっぽいなって思います。誰にでもできるし、何かに広がらなくてもいいっていうか。もしくは、そのなかだけで広がるのでもいい。そこで繋がった人とは今も(関係が)続いているし、あの雰囲気を知っていることに、強い絆みたいなものを感じるんですよね。それは懐古的なものじゃない気がする。時代が移り変わっていくうえで、(その前には)Audioleafがあったりするように、SoundCloudに似たような場所がたぶん出てくると思うんですけど、それが果たしてストリーミングなのかどうか。そういう思いから作ったアルバムでもある。だから、全然消してもいいと思ってるんですよ。サブスクから。

 

―消さないで!

 

後藤と思ったら、ミックス違いが……。

 

君島「SoundCloudに上がってる!」って。「え、フリーダウンロードできるの⁉️」みたいな(笑)。知ってる人だけ落とせるようにもできるし、非公開にしてバンド内だけで共有するクラウドとして使えたりもするので、自由だったんですよね。僕は最初ソロでやってなかったので、自分のソロの音楽を聴いてもらう初めての場所はライヴでもYouTubeでもなく、SoundCloudだった。それが支えだった時期があったんです。

 

後藤いい話だ。

 

君島サポート・ギタリストをやっていた頃に、フラストレーションが自分のなかに溜まっていて。一人で作ったものを上げてバランスを取るというか、「自分の作品があるんだ」って思うためにやり始めた場所でもあった。「じつはソロやってるんだよ」って伝えて聴いてもらえたのが嬉しかったり、そこで新しい繋がりができたり。恩恵はめちゃくちゃあります。

 

―羊文学の塩塚モエカさんも、君島さんがソロ活動を始めるずっと前からSoundCloudの曲を聴いていたと以前話していましたよね。

 

後藤SoundCloudで知り合ったの?

 

君島いや、そういうわけではないですけど、(知り合う前から)お互いSoundCloudに上げていた曲を聴いていて。モエカちゃんの謎の弾き語り音源、まだありますよ。僕は全部消してます。非公開にしてある。

 

後藤俺のはたぶんまだ上がってるな。

    

―それぞれの向き合い方があるんですね。そんな君島さんも、来年1月で30歳を迎えるわけですが。

 

君島やばいですね、そう言われてみると。

 

後藤全然やばくないよ。俺、再来年50歳だから。

 

君島そうなんですか⁉️ ミュージシャンって(自分のなかで)知った年齢で止まっちゃいません? 完全に『ソルファ』の頃の後藤さんで止まってます。

 

後藤そうしたら年下になっちゃうよ(笑)。27歳くらいだからね。

 

君島「或る街の群青」は?

 

後藤あれは30歳か31歳くらいだね。

 

―アジカン世代だ。

 

君島そうですよ! すごく聴いてました。

 

後藤ありがとう。その当時に『映帶する煙』と『no public sounds』を一年で作った人に出会っていたら、もう音楽やめようかなって思ったんじゃないかな。とんでもない時代になったと思う。最高だよ。

 

―君島さんは今後、どんな音楽家になっていきたいですか?

 

君島爆笑してもらえるような人になりたいです。「アルバム2枚出したあとに、こんなことするの!?」みたいな。

 

後藤レジェンドってどこか笑えるもんね。俺、ボブ・ディランを観て爆笑しちゃったもん。何を見せられているのかすらよくわからない。時空が歪むっていうか。みんなが期待するものを一切やっていないのに、圧倒的に演奏がいい。そんなふうになってほしいよね。

    

君島喩えがレジェンドすぎますって(笑)。それこそ、『no public sounds』についてはインタビューもされてこなかったし、それを避けてきた作品でもあったので、こうやって喋れるのも、評価していただけるのもすごく嬉しいし、アルバムっていう単位がもっと身近に感じられる世界になればと祈っています。アルバムへの辿り着き方って、クリックの数が一つ多いと思うんですよ。「音楽が好きな人が行き着く場所」みたいな。一本の線だけで貫いている塊の魅力は、今回の作品を作ってすごくわかった部分でもあるので。もうちょっと力を抜いて作り続けようと思います。